・「金剛」とは

少林寺拳法は、いわゆる宗門の行。すなわち護身練胆、精神修養、健康増進を根幹とした行です。

「金剛禅」の「金剛」とは、「金剛神」から来ています。「金剛神」とは、古くから寺の山門の左右に安置され、一般には「仁王尊」として知られている二体の像のことです。 もともと「金剛」という言葉自体は、古代インドのヴァジュラという武器「金剛杵」という言葉をあてたものです。 ダイヤモンドを金剛石というように、金剛という漢字は「きわめて堅固な」という意味を持つため「金剛杵」は「最も堅固な武器」ということになります。 「金剛杵」があらゆるものを打ち砕くように、金剛の力をもって正法を護持する仏法の守護神が「金剛神」なのです。

このように「金剛禅」の由来として、金剛神のような強健な肉体と精神に支えられた正義の裏づけとしての力を備えたいという願いが込められています。 また、片手は握り、片手は五指を力強く張って仁王立ちに立つ、豪快な金剛神のポーズそのものが、少林寺拳法の淵源である古代インドの拳法天竺那羅之捔の構えであることにもよります。

・調和を目指して

さらに、開祖が、「金剛禅」と吊をつけたのには、もう一つ、大きな理由があります。 それは、金剛神すなわち仁王尊は、二体揃ってこそ価値があるからです。向かって右側の口を開いた一体を密迹金剛神、口を閉した左側の一体を那羅延金剛神といい、「阿吽」の陰陽をあらわしています。 およそ世の中のすべての現象は、対になるもの同士の相互の働きかけによってバランスを得ています。天と地、陰と陽、男と女、親と子、教師と生徒、そして自分と他人、身体と心、理性と感情・交感神経と副交感神経など、すべて一方だけでは存在し得ません。 男は男としての、女は女としての役割や機能を双方が大切にし合うところから子供も生まれ、愛情も育ちます。プラスとマイナスの電極が調和してこそ、電流が流れ、電灯がともるのです。

このように、お互いに対立し合っている存在が、対立したままで調和するのが、宇宙の実相にかなった姿です。例えば強き者が一方的に搾取するだけの人間関係や、ただ押し付け合い役割を忘れた夫婦関係など、どちらも偏りある誤った形であると言えます。

・「禅」とは

金剛禅の「禅」は、古代インドの言葉の「ドャーナ」が中国で「禅那」という漢字をあてられて後世に「禅」の一字で表現されるようになったものです。 日本語で言うところの「冥想」や「静慮」にあたります。 つまり、精神を静めて深く思索することであり、自己を鋭く見つめ、自己の中にひそんでいる無限の可能性を発見する道なのです。 以上のように、「金剛禅」というのは金剛の肉体と不屈の精神を養成し、まず、拠り所とできる自己を確立し、そして他のために役立つ人間になろうという、身心一如、自他共楽の新しい道であり、その道を達成する手段である行が 少林寺拳法なのです。